季節の模様、蜻蛉(とんぼ)と印伝の原点を感じる旅へ
羽ばたき続ける“もののふ”の心。
種によっては春夏にも見られる蜻蛉。
でも、やはり夕暮れに涼やかな風が吹く頃、芒の中を飛び交う姿を見れば、
これぞ秋の風情と感慨にふける方も多いのではないでしょうか。
果敢に前へ進み、決して下がらず。
その飛び方や獲物を捕える姿を見て、勇ましさを感じたのは古の“もののふ”(武士)。
蜻蛉は勇猛で勝負強い虫として「勝虫」と呼ばれ、
戦国武将たちが縁起を担いで鎧兜にその模様を施し戦に臨みました。
蜻蛉は矢を入れる箙(えびら)、刀の鍔、陣羽織などさまざまな武具や装束に取り入れられ、
武家の間で受け継がれていきました。
戦国時代に多くの武将に愛され、
江戸時代に至っても武家に受け継がれた蜻蛉の模様は、
数百年の時を越えた現代でも剣道具などに見ることができます。
もののふの心に寄り添ってきた蜻蛉は、今なお日本の文化の中で飛び続けているのです。
武運長久を願う古の人々の想い。
その心を託された蜻蛉模様は印伝を代表する模様のひとつ。
伝統の模様と技を受け継ぎ、時代は変われど、
進みゆく人の心に寄り添う「勝虫」を印傳屋はつくり続けていきます。
信濃の山間、諏訪湖を望む高ボッチ高原にて
戦国時代、甲斐・武田家を支えた武田二十四将の中でも信玄から最も頼りにされた武将、板垣信方も兜の前立てや手甲、脚絆、着物などに蜻蛉の意匠を用いたと伝えられています。1542年に甲斐の隣国である信濃の諏訪家を降し、この地で郡代を務めた信方は、諏訪湖を望むこの山間に蜻蛉をやはり見たのでしょうか。そして遥か遠くを見遣り、武田家を天下へ導くことを考えたのでしょうか。
その後、武田信玄は隆盛を極め「甲斐の虎」の名を轟かすも1573年に急逝し、子の勝頼の代となった後の1575年、長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に敗北。1582年に武田家は滅びます。この同じ年に織田信長は本能寺の変で討たれ、時代は大きく動くことになるのです。奇しくもこの年は、諏訪の上原城下で武具をつくっていた職人集団の上原家が甲斐の地へ移り、印傳屋を創業した年でもあります。遠祖・上原は乱世を生きる“もののふ”たちが縁起を担いで蜻蛉模様の武具を所望した想いを、しかと受け止めていたのだと思います。模様には人の想いや願いが込められている。そのことを印傳屋はずっと伝え続けていきます。
挑む人の心に寄り添う「蜻蛉」模様の印伝
決して退かない「勝虫」。武士に好まれた縁起物の蜻蛉模様は、前を目指し進みゆく人にふさわしいもの。挑む心に寄り添う蜻蛉模様の印伝を、武運を願う想いとともにお贈りしてはいかがでしょうか。